ミエのカーテン

ももいろクローバーZが好きなピンクのモノノフです

【ももクロ】2015/8/5 ももいろフォーク村DXについて怒りの長文

ももいろフォーク村デラックス、行ってきました。
ガールズファクトリー2015は三日間通して行ってきたのですが、今回はフォーク村デラックスについて、想いをしたためたいと思います。

結論から言うと、フォーク村の終演後、わたしはひどく腹を立てていました。
ももクロのライブ史上で一番、腹を立てました。
一言でこの憤りを表現すると、

「れにの涙を安く使うな」

という言葉に集約されます。
終演直後は声が震えるくらい怒りが込み上げていました。
そもそものGFの構成が、アーティストの使い捨て感が顕著でしたが、あのめちゃくちゃなものを、れにちゃんの涙で無理やり収集付ける材料に使ったことに、嫌悪感しかありません。

一応、念を押をしておきますが、わたしは泣いたれにちゃんに怒っているわけでも、れにちゃんと一緒に泣いているひとを嫌悪しているわけでも無いです。
断言できますがそれは違います。

わたしが腹を立てているのは、あの舞台を作った人間たちに対してです。

なんなんでしょうね、あの劣悪なイベントは。
プロデューサーをはじめ、あの現場を作った人間は、クリエイターでもプロでもなんでもない。
お金やらなにやらの数字に囚われたテレビ局に所属するサラリーマンが、その正体なんでしょうね。

あんなに作り手の愛が感じられないイベントは、たぶん初めてです。

これも念を押しておきたいのですが、アーティストさんたちはみんな精一杯のパフォーマンスをしていたと思います。
あの劣悪な環境でやってのける彼女たちは、逸材だとひたすら感心しています(特に夏菜子と真山)。

でも、彼女たちは、たしかに逸材なんですが、素材でしかないんです。

イベントやライブという料理を美味しく仕上げるためには、すぐれた素材を調理する料理人が、プロデュースをする人間が、絶対に必要なんです。
人様からお金をいただくとなったらなおさら。

でも、あのイベントにプロの料理人はいませんでしたね。
片手間で自己満足の料理をしているサラリーマンしか居ませんでした。
しかも素材の持ち味を台無しにするやり方で。

ほんと、一日経ってますが思い出すだけで憤りで胸がむかむかします。

正直、フォーク村のコンセプトそのものが、最初からそういう感じではありましたし、最近は特に酷かったですけども。

わたし、フォーク村が始まったときは、なんておもしろい番組を始めてくれたんだろうと大興奮だったんですよ。
ももクロちゃんたちが純粋に音楽に触れる音楽番組、しかもフォークソングだなんて、なんてものをやってくれるんだ、と。

日本のフォークソングは、日本人の郷愁や侘び寂びを表現するものだから、なんでもかんでもフルスロットル、のスタイルが通じなくなってきたももクロちゃんたちにとって、一歩引く、という表現方法を身に着ける絶好の機会なんじゃないかと。
感情を抑える、という表現手法を、習うより慣れろで会得していく素晴らしい機会なんじゃないかと。
そう思って、本当に楽しみな番組でした。

でもそれも最初の二回だけで、なんだこれただの身内の懐メロカラオケ大会じゃん、と思うようになってからは、一線引いた楽しみ方しかしなくなったし、そのうちだんだん番組そのものを見なくなりました。

まあそれでも、たまに見る懐メロカラオケ大会は、その感覚で見れば、それなりに面白かったし、そもそもわたしは、そんな風に一線引きながらも、ももいろフォーク村が好きだったんですよ。
自分の好きな懐メロを、自分の好きなももクロちゃんが歌ってくれるのは、単純に見ていて楽しかった。

でも代々木体育館で万単位の人間を集めてやる内容ではない。
しかも決して安くないお金を取ってまで。

代々木のフォーク村については、最初に入場して舞台のセットを見た瞬間、なめてんのか、と思いました。
チープすぎて。
だから、ステージセットからして嫌な予感はしていましたが、案の定、本編は何の筋もない、ぐだついた、ひどいものでした。

よくもここまでアーティストたちのパフォーマンスを台無しにできるな、という構成で、あの舞台を作った人間の感覚が、まったく理解できないです。

それでも鳥肌の立つ瞬間はあって。
I'm proudの時の夏菜子の、ここは自分がやるしかない、と覚悟を決めきった歌声には、文字通り身震いしました。
あの子がたった一人で、あの劣悪な環境の空気を一気に変えた。
演奏者も引っ張られて音がよみがえった。
時々ふいに起こる、音楽の奇跡を、夏菜子が自分の意志で起こしたんです。

I'm proudの直後のあーりんも持ち直したんだけど、その後の失格の再びの夏菜子が凄まじかった。

ただ、フォーク村もももクロちゃんの持ち場に関しては、あとは覚えているのは杏果のThe Roseだけです。
他はエビ中の三人以外、記憶に残っていません。

気が付いたら終演で、あと覚えていると言ったら、ももいろパンチの時の武部さんのやけくそなピアノと、Best Friendで泣いているれにちゃんの姿と、どうしようもなくもやもやした気持ちだけです。

お涙頂戴の演出が絶対に悪というわけではないんです。
やり方の問題なんです。
涙も演出としてあっていいんです。
でも、ステージというものを作る以上、そこに賭ける情熱と愛が無い演出は、必ず観客に見抜かれてしまうんです。

少し話がそれますが、実はわたしも、かつては舞台を作り上げる側の人間でした。
脚本も書けば演出もし、監督もする立場の人間でした。
そしてピアノもギターも弾く人間でした。
プロにはなれませんでしたが、今でも、表現をし、ものを作り上げる行為を愛しています。

そんな人間だからこそ、役を演じる人間、歌を歌う人間へのリスペクトは半端ないです。

台本やメガホンや楽器といった武器を何ひとつ持たず、丸裸の自分ひとりで勝負をする人間への憧れと尊敬は強烈です。
そういう意味で、ももクロちゃんという素材のすばらしさは、素材を料理する視点で見てもよくわかるし、彼女たちに感じる愛情は根が深いのです。

だからなんですよね。
自分の惚れた素材をめちゃくちゃに料理されて強烈に怒りを覚えるのは。

ライブステージという一夜を、ひとつの作品として愛せない類の人間が、自分の愛しているものを台無しにしたことが本当に腹立たしい。

あとは素直にももクロちゃんのファンとして思ったのは。

あんな安易に泣かせたことに対して、桃神祭でのれにちゃんの笑顔の努力は何だったの?

と、いう憤りです。

いや、笑顔の努力という言葉は正しくないかもしれない。
桃神祭でのれにちゃんの笑顔は、彼女の愛情と誠実さの表れだから。
あの笑顔の土台に何があったのかを考えれば考えるほど、れにちゃんの強さと気高さと、愛情の深さを感じずにはいられなかった。

そして、そのれにちゃんを見守るあーりんの気持ちは?
あーりんは、怪我する側の気持ちを二回味わっているぶん、れにちゃんを目の前にして、とんでもなく複雑なものを抱えて挑んだ桃神祭というライブだったと思います。
ある意味、前だけを向くことが許されるれにちゃんより、あーりんのほうが、後ろも前も横も見なくちゃいけなくて、そんなこんがらがった複雑なものに、誰よりも人知れず苦しんでいたかもしれない。
そしてその苦しみを、表に出すのが苦手な子だと思うから。

この二人のことを思うだけでも、フォーク村でれにちゃんの涙を安く使った側(れにちゃんの涙が安いという意味とは違います。むしろ真逆です)に対して、くどいほどの繰り返しになりますが、憤りを覚えます。



と、ここまで書いて時間切れなんで、シメまで行けてないですが、一旦ここで。
あとから追記できたらいいなとは思いますが、時間的に無理だったらこの憤りだけを記録として残すことになりますが、まあその場合は、これもひとつの思い出ということで。