ミエのカーテン

ももいろクローバーZが好きなピンクのモノノフです

ももクロの、剣とバトンとサイリウム

有安杏果の卒業ライブから明日で一週間。
少しだけ、他の人が書いていらっしゃるブログを拝見するようになりました。

いくつか読んでびっくりしたのは、杏果の人生を肯定し、杏果の心と意思、そして決断に寄り添う想いが散見されたことでした。

わたしにとっては衝撃でした。
これが『モノノフ』か、とすら、錯覚をしました。


実際には、感情を表現しつつ、先を見通す考えを文章するための、論理的思考が可能な賢い方がたどり着く結論が、彼女を肯定する、というところに向かうからなのだろうな、と後から思いましたが。

頭の良い方というのは、究極の所、他人と自分を肯定する力に優れていると思います。
動揺はしても取り乱すことなく、正解を見抜く眼を持った方のことを、聡明、と言うのだと。

聡明さは現代を生き抜く力だから。
生きる力を持った方は、みなさんとても頭が良い。
そして心の芯が前向きです。

傷ついてるはずなのに。


その聡明さは強がりかもしれません。心の内は夜の嵐なのかも知れません。
でも、それを口に出さず、杏果のための言葉を口にする。

その愛は、何よりも正しい、と思いました。

そして、わたしには到底、敵わない在り方だな、と思いました。


-


わたしは正しくありません。
これは決して他人の尺度で測った話ではありません。
自分自身の話です。

わたしは今も、自分にとっての正解に辿り着けないまま、今と後ろのことばかりを見て、足がすくんで前に進めないでいます。
杏果の生き方を肯定し、これからの4人を見たい、という出口は見えているのに、行き方がわからなくてずっと迷路に居ます。

ほんとうはまだ多くの方がそうであるはずなのに。
わたしは最も遠い最後尾に居る気がしていて。


先の見えない迷路の中で、弱音ばかりを吐いています。
サイリウムは手放さない、という決意をライブ直後の最初に決めておかなかったら、あっという間に脱落していたと思います。

他の人はなんでこんな弱さ辛さを言葉にしないでいられるのか、ちょっと不思議になりました。
これは単にわたしが直情的で弱いだけじゃない気がする、と。

それを友達に打ち明けたら、
「ライブが終わった後、周りを眺めてた。モノノフもモノノフじゃない人も。いろんな人が居たよ。みんな、それぞれのやり方で心を守っているんだと思った。たぶん」
と言っていました。

この人もまた、賢い人だな、と思いました。


わたしは、自分を守る力が足りない人間なのかもしれません。
なんて非力なんだろう、と思います。
裸で戦場に取り残されている気持ちです。

はるか遠くで勇猛果敢に戦い、勝ち進んでいく4人の女の子たちと、それに鼓舞されながら、勝利にしがみつく生命力を持った『モノノフ』たちを、ぽつんと眺めている感じです。

自分を守る力の乏しいわたしは、戦場に向いていないのかもしれません。


-


わたしは今までも、ももクロのライブで毎回と言っていいほど泣いてきました。
その心の作用がよくわからないまま、泣いてきました。
泣き崩れて立っていられない時もありました。

ただただ、痛かったんだと思います。

だいすきなあーりんと同じピンク色の防具を着ていたはずなのに、サイリウムという武器を持っているはずなのに、それが役に立たない時も多々ありました。
特に、ライブで聴くバラード全般と行く春来る春、そしてLink Linkでは、サイリウムの灯りを消していました。
その理由を何故なのかうまく説明できずに居たのですが、今にして思えば、迷いがあったんだと思います。

迷いの中では、自分の灯りがむしろ邪魔でした。
だから5人の輝きに目をこらすことで、助けを乞うていた気がします。


そして、その迷いが形となって現れたのが、桃神祭2016 の時でした。

あの時から、わたしはピンク色の防具をほとんど身につけていません。

代わりに、白を着るようになりました。
その理由はいろいろ言っていたと思います。

「暗闇でサイリウムのピンクをいちばん反射するのが白だから」
「ピンクを着るのは、ステージ上のあーりんだけでいいと思ったから」

どれも本当の理由です。
どのみち気持ち悪い拗らせオタクの発想ですが。

そして今回のことで、自分で気づいていなかった理由を見つけました。

「わたしにはピンクを着る資格が無い」

そういう自己否定が、根幹にありました。

桃神祭2016 の頃、自分の生活に大きな変化があり、その頃すでに、ももクロに着いていく気力を失いつつありました。
疲弊し、すり切れて摩耗した心で、身体を引きずりながらしがみつくように、時には友人たちに強引に腕を引っ張ってもらう形で、ライブに行くようになっていました。

無理だ、と何度も何度も思いました。

輝く5人を見るのは眼が痛い。心が痛い。
そんな感情の悲鳴が、涙だったのだと思います。

それでも5人はわたしにとって特効薬でした。
恐ろしいほどによく効く、限りなく依存性の高い薬でした。良くも悪くも。

そんな風に5人の女の子にすがる自分を、いつしか認められなくなっていきました。
だからピンク色を着ることに抵抗感が生まれていたのだと思います。
応援のために推すのでは無く、明らかにすがっている自分が、許せなくなっていたのだと。


そして、その特効薬が無くなってしまった恐怖が、今の虚無感の大きな要因のようです。


-


先の記事でも書きましたが、わたしはももクロをファンタジーだと思っていました。
例えて言うなら、ももいろクローバーZという名前のプリキュアを見ていた感じです。

でも5人は、生身の女の子でした。
いつか終わる、のではなく、いつでも辞めていつでも終えることができてしまう、「アイドルという仕事」をしている女の子たちでした。

それがわかった時、彼女たちはほんとうに別次元の存在だという、完全な隔たりにようやく気付きました。
人間ではない人間を見つけてしまった気持ちでした。
だってあの笑顔が、輝きが、本当に現実に存在するものだなんて。
わけがわからなくなりました。

スーパースターというのは、こういうものなんでしょうか?

この衝撃に当てはまる言葉が見つからなくて、思考停止をしてしまいます。


-


話を「戦場」のくだりまで戻します。

戦場に向いていないわたしは、はっきりとではないですが、今までもそれなりに自分で、その「向いて無さ」を感覚的に理解していたのだと思います。
自然と、「言葉での表現」を多く行って来ました。

時には強い怒りを、時には弱音を、喜びを、痛みを、苦しさを、救いを、希望を、その時々で愚直に言葉にしてきた気がします。

わたしは馬鹿正直な人間ですが、嘘もつきます。
でも、ももクロのことに関しては、どうしても嘘をつくことができません。
嘘をつけないからこそ、間違ったことを言います。

わたしにとっての正しさは、誰かにとっての間違いです。

戦場では、自分の正しさを信じて剣を振るうしかありません。
勝つために必要なのは、技量の次に、自分が生き残ることへの迷いの無さ、だと思います。

現代では、技量=賢さ、だと思っています。
賢く、迷わない人が生き残る世界。

言葉は、自分を生かす手段であり道具であるからこそ、愚かで迷いだらけのわたしは、とても弱い。


-


あーりんが、杏果の卒業発表後に、5人の中で先陣を切って書いた1月19日のブログで、言っていました。

「なんの迷いもないよ。」と。

彼女の賢さ、強さ、しなやかさ、優しさ、やわらかさ、美しさ、そういったものが凝縮された一言だったと思います。


わたしは2017年の12月頃、まだ先月のことですが、ピンクのサイリウムを持つことへの迷いがピークだった頃があります。

それでも、ももクロが好きだったから、ももクロの核である百田夏菜子の赤を持つしかないのでは、という迷路に居ました。
ももクロの地盤である、紫色に惹かれた瞬間もありました。
ほんと、いつも迷路に居る人間だと思います。

その迷路で、あーりんの一言は、出口はこっちでしょ何やってんのー? と、呼ぶ声でした。

救われました。
救われましたが、救われて良いのか、という、今までに無かった迷いが生まれました。

わたしはもう、ももクロにすがりたくない。
救いを彼女たちに求めたくない。
この期に及んで救いを求める自分が許せない。
だって杏果は行ってしまった。
何が杏果をそうさせたのかは分からないまま、行ってしまった。


最後の杏果の言葉で、特に受け入れられなかった言葉が3つあります。

「(新曲を)私のため "だけに" ありがとう」
「こうするしかなかった」
「4人をよろしくお願いします」

1つ目は疑問。

私のため "だけに" って、杏果のためだけじゃないでしょ?
みんなの杏果への気持ちを供養するためでもあるでしょう?

2つ目は悲しみ。

こうするしかなかった、って、なんで?
こうするしかなくなる前に、なんで別の方法を選んでくれなかったの?

3つ目は怒り。

4人をよろしくお願いします?
なんで去る人が堂々とそれを言えるの?
言われなくてもそうするよ!


受け入れられ無さの内訳は、こんなところでしょうか。


杏果が行ってしまったことを受け入れられないまま歩みを進めるのは、杏果への裏切りな気がして、わたしは動けないでいます。

こんなわたしを、誰かどうか、間違っていると言って欲しい。
わたしの間違いを、誰かの正論で正して欲しい。

骨の髄から他力本願な、そんな気持ちで居ます。


-


そんな中、昨日は十日ぶりに、わたしのだいすきな曲、「空のカーテン」を聴きました。

杏果が居なくなったことで意味の変わってしまった歌詞に、切なく苦しくなりながら、それでも好きで、聴きたくて、聴きました。

だいすきなこの歌の意味が変わってしまったことを、もっと恨めしく感じるのだと思いながら聴き始めたら、実際はそうではありませんでした。

空のカーテンの、わたしの大好きな一節。

「バトン握って 私は今ここだ」

それを聴いて、ふと思いました。


サイリウムは、杏果から受け取ったバトンなのかもしれない。


杏果は裏切ってなんかいない。
あれは裏切りでも何でも無い。
自分が杏果への気持ちの整理のつかないまま進むことも、裏切りではない。

4人をよろしくお願いします。

そう言って杏果がわたしたちに手渡したものがあるとしたら、それはもう既に手に持っているこのサイリウムなのかもしれない。


サイリウムは武器だとばかり思っていました。
だからずっと苦しかった。

武器は自分を守る代わりに人を傷つける。
武器なんか要らない。
守る鎧も要らない。

そんなふうに、丸腰で泣いていた気がします。

最初はただただ、嬉しくて楽しくて熱狂して飛び込んだ、ももいろクローバーZという世界で、どんどん加速していく世界で、膨大な人の波に呑まれ、混沌としていく渦の中でいつしかわたしは、剣と鎧無しに生き残れなくなって、そんな自分がいやで。
何にも持ちたくない、何も身につけたくない、こんなのわたしじゃない。

そんなふうに、自分を見失っていた気がします。

でも、サイリウムが武器ではなくバトンであるなら。
意味が、全く新しいものへと変わっていく。

変わることを恐れていた先にあったのは、優しい意味でした。
その優しさで、ピンクのサイリウムを持ちながら、もう少し迷路を行ったり来たりうろうろすることを、自分に許せる気がしました。

こっちだよ、と、4人が呼ぶ声の方角に、壁に頭をぶつけながら、曲がり道を間違えながら、のろのろと、向かっていける気がしました。



「大丈夫さ行き止まり そんときゃ引き返してまた始めればいい」







最後まで読んでくださった方。

歩みの遅い、愚鈍極まりないわたしの散文にお付き合いいただいて、ありがとうございました。

有安杏果という『モノノフ』の恋人と、そうなりたくなかったわたし

これを書いている今日は2018年1月23日。
ももいろクローバーZの、有安杏果の卒業から2日後です。

今は、ももクロの多くのファンが、心の喪を、それぞれのやり方で過ごしている期間だと思います。
雨雲を晴らすように眩しい4人の姿に安心している人たちも、その眩しさにまだ明順応できない人たちも、立ち去ろうとしている人たちも、それぞれいると思います。

わたしはというと、4人にとっての『モノノフ』になることを決めました。
『モノノフ』として、あーりん推しなのでピンクのサイリウムを、百田夏菜子の目印として灯すことに決めました。
国立での約束通りに。

その為の、心のお葬式をします。

今から酷いことを書きます。
ももクロとファンのみなさんが、前を向こうとしている今のこの時期に、野暮で、愚鈍で、辛いことを書きます。
読む人を傷つけることもあると思います。
感傷に塩を塗る行為かもしれません。

それでも正直で赤裸々な言葉を人目のつくところに置いていかないと、わたしの心は前に進めません。
謝ればすむことなんて本当はあんまり無いし、先に謝るなんて愚かだけれど、謝ってから話を始めます。
ごめんなさい。


-


まずは有安杏果さんへ。

有安さん、8年間、そして22年間、お疲れ様でした。

あなたがももクロでなくなることを知らされた日から、わたしはあなたに言いたいことが洪水のようにあふれかえって、毎日泣いていました。

わたしはあーりん推しだから、それまでは、ここまで心の柔らかいところを杏果にも預けていたことには、2018年1月15日の12時までは、気付いていませんでした。

気付いた時には手遅れでした。
もう全部が終わりでした。


わたしは、ももクロと出会ってから、長い長い恋をしていたように思います。
夢という恋を。
それは、二度と得られないはずの、青春の疑似体験でした。

週末ヒロインと名乗る女の子たちは、わたしのヒーローでした。

プリキュアとか、セーラームーンとか、そういう強くて可愛い、戦う女の子たちが現実に居ることを知って、全身でその世界に陶酔し、自己投影をし、夢を叶えて貰ってきました。
おんぶに抱っこで。

5人の女の子たちの青春を消費していることに、少し罪悪感がちらつきながらも、本当には向き合ってきませんでした。


だから、杏果の卒業、という言葉を見た瞬間、ごめんなさい、って思いました。

杏果、あなたはこんな言葉は望んでいないはずだけれど、ごめん。

今までこんなにも重たい、呪いにもなりかねないほどに重たい想いを、夢を、あなたに背負わせ続けて、ごめんなさい。



-



杏果へのごめんなさいと同時にわかったのは、彼女たちは生身の女の子だ、ということだった。
あの時、ほんとうに、ほんとうに、初めてわかった。
5人は生身の女の子だった。

わたしは、アイドルはファンタジーだと思ってた。
ファンタジーに恋をしていた。
自分の想いさえあれば、それがずっと続くと疑いもせず、終わりを見つめるなんてしようともしない。
できなかった。
多くの恋がそうであるように。

1月21日の卒業ライブの直前、喪うことが怖くて怖くて、心の底では杏果が憎くて、憎いと思いたくなくて、好きな人をそんなふうに憎む自分になりたくなくて、幕張新都心で雲ひとつない空ばかり見てた。
なんて青空なんだろう、って見てた。

ももクロの曲の中でわたしの心に強く焼き付くのは、空という文字が出てくる曲が多い。

幕張新都心の空を見ながら、杏果が居なくなることで、すべての歌の意味が変わってしまう、と思ってた。
そのことが何よりも憎かった。

杏果は、わたしたちから杏果だけじゃなく、わたしが恋して愛してきた、だいすきな歌たちを奪っていってしまう、と。

ももいろクローバーZが、それを取り巻く全てが、変わってしまう。

わたしは、有安杏果はそういうものも引き受ける覚悟で、卒業を発表したときにはもうすでに、全てを超えた笑顔でいるのだと思っていた。
思いたかった。

そして、あのライブを見て、思った。

ちがう。

ちがう、あれは、あの笑顔は、捨てていく者の清々しさだ。

受け入れても超えてもいない。
自分自身は傷つき終わって、苦しみ終わって、覚悟も決意も終わって、ただただ去るその時の、美しささえ孕む無責任で残酷な笑顔だ。

あんまりだよ。

有安杏果は、一人で、本当に一人で、決めてしまった。
そのことが、とても寂しいし、悲しいし、裏切りだと思った。

なんでだよ。

わたしは、ちゃんと苦しませて欲しかった。
ファンのことはいい。
百田夏菜子玉井詩織佐々木彩夏高城れにの4人に、話をして、苦しむ時間を、さよならの猶予を与えて欲しかった。
あーりんは最初に怒って言ってくれたけれど、夏菜子ちゃんは最後の最後にしか言えなかった。
それも許せなかった。

ももクロの核、ももいろクローバーZの体現者である百田夏菜子へ突然突きつけた、死刑宣告じゃないか。
杏果こそが戦犯なのに、と思った。

4人に打ち明けて欲しかった、というのは、一人で抱えるな、なんていう生易しい意味じゃない。
杏果自身の選択が、言葉が、他の存在を、杏果にとって大切なひとほどを苦しませる、その責任を負って欲しかった。

それをしないのは、裏切りだと思った。

裏切る側は、裏切られる側のほうなんか顧みない。
裏切られる側が視界に入ってしまえば、それが裏切りだと知ってしまえば、裏切れない。
誰だって裏切り者になんかなりたくないから。

自分を裏切り者と思って裏切り者になれる人は、そうはいない。

そして裏切りは相対性ではない。
絶対性だ。
裏切られた側にはいつまでも裏切りが残る。
でも、こちらが裏切り者と決めつけた相手には、裏切った事実なんかなかったりする。
裏切ってごめんとか何とか、口では言っていても。

どこまでも成り立たない気持ち。
どうやっても等価にはならない関係。

わたしも、人を裏切ったときはそうだった。
裏切られたときも、そうだった。

わたしの母も、一人で決めて、一人で去った人だった。
わたしが10歳の時に、絶望的な方法で突然この世から居なくなった。永遠に。
その穴は一生埋まらない。
喪失の風穴なんて空いていくばかり。増えていくばかり。
生き長らえるほどに、喪ってゆくばかり。

そのことを、残される者の気持ちを考えることを辞めたとき、本当に人は自由になってしまうのだと思う。

糸の切れた風船みたいに、自由に、飛んで行ってしまう。
あの空に。
あなたの好きだった空に。


有安杏果は、生きながら空に行ってしまった。

1月21日の幕張メッセのステージで、緑色が消えた時、ももいろクローバーZ、という名前で5人が並んでいたはずの景色が、あーりんの隣が、空っぽになってしまった。

杏果を好きだった誰もが、有安杏果という恋人を失った瞬間だった。


あの時わたしは、4色になった景色を見ながら、茫然と、何も聞こえなくなってしまっていた。
緑色の居ないステージだけが見えていた。
4人が何か言っていた。
何にも聞こえなかった。
そして、聞こえなくなっていた耳に突然、慣れ親しんだ曲のイントロが容赦ない勢いで入ってきた。

あの空に向かって、のイントロだった。

無理だった。

気付いたらわたしは、隣に居た連れに、「ごめん、先に抜けて外で待ってる」と言っていた。
そしたら連れは顔を歪めて数秒間、逡巡したあと、「みえちゃん、わたしここに居たくない」と言った。


この連れは、わたしに、ももいろクローバーZの存在を教えてくれた大切な友達で、杏果の卒業を受け入れられず、今回の卒業ライブに申し込まなかった人間だった。
行きたい、行きたいけど仕事だから、と。

わたしは迷わず卒業ライブのチケットを2枚で申し込んでいたから、その連れに、「どうしても仕事を休めないか」と、しつこく聞いていたという経緯があった。
他の人に譲ることも考えて、実際に他に声をかけたりもしてた。

でも生憎というか何というか、連れて行きたいと思っていた人は、みんなチケットを確保していた。
譲り手は他にもあったけれど、諦め悪く直前にまた、これで聞くのは最後、と思って、その連れに「どうしても仕事を休めないか」と聞いた。

そうしたら、そいつは、最後の最後で、行く、と決めた。

わたしに、ももいろクローバーZを教えてくれた友達を、わたしたちの見てきたももいろクローバーZが終わる瞬間に連れて行ける、そのことが何よりも頼もしくて誇らしくて辛くて、こんな日が来るなんて、と、繰り返し思ってた。


その連れが、あの空が流れる中、「ここに居たくない」と言った。
迷わず会場の外に出た。
出口に向かう最中、わたしはずっと下を見ていた気がする。
幕張メッセの灰色の床は覚えてるから。


わたしたちは、杏果の居ないももいろクローバーZから逃げました。


あの場から逃げたことは後悔していない。
そうするしかなかった。
そうしないと自分の心を守れなかった。

わたしと連れは、ライブ会場から逃げ出してからは終始無言で、クロークの前で荷物を整理しながら、そのまま別れた。


-



わたしはライブ後に、自分が主催するオフ会を企画していたから、ライブからは逃げ出せても、ライブ後のそこからは逃げようがありませんでした。
こんな状態で無理だ、やりたくない、誰とも会いたくない、逃げようか、投げ出そうか、そんな風にずっと思いながら、責任感だけでお店に向かっていました。

結果、オフ会については、やってよかったです。

いろんな人たちの言葉を聞いて、自分の言葉も聞いてもらって、持っていたくない気持ちをたくさん出して置いて行けました。
いらないものをたくさん捨てたら、大切にしたいものだけが見えてきました。

みんなが有安杏果という恋人を失っていたことがわかって、とても救われたんです。

そして、そのオフ会をやったことで、モノノフっていいなって、初めて思いました。

正直に言うと、わたしはモノノフ自体はそんなに好きではなかったんです。
友達として好きな人はたくさん居るけれど、その人たちのことを表現するときも、『モノノフ』という単語はあまり使って来ませんでした。

『モノノフ』という単語を使って来なかったその理由は、気恥ずかしさとか気後れとか、一言で括られたくないという反骨精神とか、ちっちゃい抵抗がたくさん重なって、他にもよくわからない表現しがたい違和感があったから。
だから、ももクロのファン、という言い方をすることが多かったです。


今は、『モノノフ』という4文字の意味が変わりました。

変わったとき、ああ、始まりはみんな、ももクロに恋をしたんだなって、恋をした人の集まりが『モノノフ』なんだなって思いました。
だから世間一般から見たらこんなに気持ち悪いんだな、というのにも合点がいって、自分の『モノノフ』への抵抗感にも納得がいきました。
だってわたし、5人の若い女の子たちに恋してるおばさんであること、認めたくなかったもん。

でも、恋してたんだよな、って。思った。



-



ももか。

あなたに恋した人たちは、あなたに豊かなものをたくさんもらいました。
夢の喜びも、失う悲しみも、想うことの強さも、夢の儚さも。

わたしは、あなたとのお別れを経て、あなたに恋した、そしてたぶんあなたにとっても恋人だった、『モノノフ』になります。

夢なんかじゃない、あなたの居なくなった世界で生きていくたった4人の女の子たちへ、サイリウムの海を見せ続けたい。

ももか。
ありがとう。

さよなら。

【ももクロ】ザ・ゴールデン・ヒストリーは、ももクロの喜怒哀楽

ももクロ16thシングル、「ザ・ゴールデン・ヒストリー」についてちょっとだけ語らせてください。
今から絶賛するので、うっかりこの記事を開いちゃった方は、そういう方向で心の準備してお読みください。
 
 
すごいですねこのシングル。
 
たった4曲で5thフルアルバム作ってやがります。
 
3rd4thアルバムの「アマランサス / 白金の夜明け」をシングルに固めたら、この4曲になりました、みたいな完璧さ。
完璧だけれど隙もあって、隙も含めて完璧。
 
 
フラゲしてから丸二日、隙間時間さえあれば8曲を(オフボーカルも毎回フルで)延々と収録順にリピート再生しているのですが、聴けば聴くほど、大変質のいい四コマ漫画のような起承転結ぶりが凄まじいなと感じています。
大変質のいい四コマ漫画でなければ、もうこれ落語かよ!というレベル。
 
起承転結を意識して聴き出すとカッチリ心にハマってしまって、収録順にしか聴けなくなる位に気持ちがいいです。
 
 
そしてこのシングル、起承転結に加えて。
 
1. ザ・ゴールデン・ヒストリー
2. DECORATION
4. 伸ルカ反ルカ
 
 
この4曲は、ももクロの喜怒哀楽だな、と思いました。
 
 
喜の表題曲、「ザ・ゴールデン・ヒストリー」。
怒の「DECORATION」に、哀愁の「Hanabi」と苦楽の「伸ルカ反ルカ」。
 
締めの「伸ルカ反ルカ」が何気にキー曲で、最初はラストに強引に当てはめた感があるかなーとも思っていたのですが、聴きこむほどに、この曲から最初の「喜」に戻ると、「ザ・ゴールデン・ヒストリー」がめっっっっっっちゃ輝くんですよ。
もうイントロの喜ばしいサックスが、天空の城ラピュタのあの有名なラッパ並みに気持ち良く際立つんですよ。
 
ちなみに「伸ルカ反ルカ」自体は、楽しさって苦しみと表裏一体だよね、っていう曲だと解釈して美味しくいただいています。
 
DECORATION」と「Hanabi」も含めた4曲と、今のももクロとこのシングルの喜怒哀楽について、ひとつずつ紐解いて解釈して文章に起こしていく時間が欲しいところです。
 
 
わたしは元々ももクロには楽曲でハマった人間なので、かなり楽曲厨なところがありまして、そういう面でも今回のこの4曲の構成は素晴らしいと思っています。
 
その素晴らしい楽曲の上に、すっかり蛹から蝶になった最近のももクロさんたちの女性としての美しさが乗ってしまうと、もう何も言うことないです、と降参したくなりますがやっぱり嘘です言いたいことあります。
 
ありすぎるけど、「ザ・ゴールデン・ヒストリー」のももクロさんたちの魅力を一文でまとめると。
 
高城さんは女神だし、夏菜子さんは立派な女勇者だし、杏果さんは気の強いお姫様だし、詩織さんは浅倉南レベルのヒロインだし、あーりんさんは永遠のアイドルだし、生きとし生ける女性という性の魅力をたった5人で全方位カバーしかねないアイドル、ももいろクローバーZ、つよい、つよいぞ。
 
すごいな、ももクロっていうこの現象。
どこまで行くんだろう。
 
 
たった一枚でこんなにワクワクさせてくれるシングル、「ザ・ゴールデン・ヒストリー」がやばいって話はもっとしたいので、また暇見つけて文章書けたらいいなーと思います。
 

 

とりあえず明日も五時半起きなので、もう一周、ももクロの喜怒哀楽を聴いてから寝ます!

参加申し込み受付中!! ももクロドームツアー2016千秋楽アフターIN 池袋

 
オフ会やります!!
参加申し込み受付中!!(最後に申し込みフォームがあります)
質問やお問い合わせはTwitter @miezyanaimon までお気軽にどうぞ!!
 

「まったりオフ2016Re:BIRTH~」

ももクロドームツアー2016千秋楽・アフターIN 池袋

 
次元を超えて生まれ変わったももクロと共に、まったりオフもRe:BIRTHします。
 
ライブ後もがっつり踊りたい!
ライブ会場の外でも頭のネジを外したい!
という方には、このオフ会のコンセプトは向かないかもしれません。
ですが、逆に座って語らいたい人には、雰囲気的に受け入れやすいのではないかなーと思います。
 
 

【概要】

 
日時:201643日(日)2100500 ※二部制
場所:池袋東口付近の居酒屋
定員:30名(MAX50名)
会費:
第一部 21002300 3800円(飲み食べ放題)
第二部 2300500 3000円予定(飲み食べしただけ)
 
ライブの終了時間や退場の混雑によって、オフ会の開始・終了時間は前後します。
 
集合は現地集合でお願いします。
 
※21時開始予定です。直接お店においでください。
 
大変申し訳ありませんが、都条例とお店の規約により未成年者のご参加はお断りとさせていただきます。

※飲酒運転は固くお断り致します。
 
定員に達し次第、申し込みを締め切らせていただきます。
 
 

【まったりオフって?】

 
■まったり三ヶ条
 
①当オフ会は、「感想戦」という言葉を使いません。戦いではないからです。
 
②最初は誰もが初めましてさん。ライブやオフ会に、最初の一歩を踏み出した勇気ある人をあたたかく迎え入れる。そんな場所づくりを目指しています。
 
③初めての方も昔から来てくれている方も、誰もが馴染みやすいよう、交流ツールとして、在住都道府県の表記付きの名札を作っています。
 
 

【どんな人が主催? どんな人が来るの??】

 
■どんな人が主催?
 
ミエといいます。
あーりん推し。
都内でふつうに働いてる30代の女性です。
 
 
■どんな人が来るの??
 
まったりオフ会の年齢層は、杏果世代~還暦間際の50代と、たいへん幅広い層にご参加いただいています。
参考までに、コア層は20代後半~40歳未満です。
わたしの性別もあって、女性も安心してオフ会に参加していただいているようです。
 
 

【まったりオフの歴史】

 
20138
夏のバカ騒ぎ2013(日産)IN 新横浜
201312
ももクリ2013(冬西武)IN 池袋
20143
春の一大事2014(国立)IN 原宿
20147
桃神祭2014(日産)IN 新横浜
201412
ももクリ2014SSAIN 池袋 
20154
どんたく2015ヤフオクドーム)IN 博多
20157
桃神祭2015エコパスタジアムIN 浜名湖
201512
ももクリ2015軽井沢IN 軽井沢
 
まったりオフは、ももクロの大きなライブが行われる春夏冬をメインに開催しています。
この大きなトピックスの間に、他のライブのアフターだとか、ももクロメンバーの生誕祭だとか、幕が上がる連番だとか、お花見だとか、各地方ごとにも細かい飲み会があったりして、和気あいあいとやっております。
 
まったりオフの正式ナンバリング回(名札を用意する回)自体は、今回で9回目なのですが、どうしても回数を重ねると、
 
「もう内輪ノリができあがってるんじゃないか
「輪ができてたら中に入りづらい
 
という敷居を感じてしまうかと思います。
 
しかしわたしは、そんな方こそをお迎えしたいと考えています。
 
毎度おなじみの内輪ノリで適当にやることはできます。
それはそれで楽しいのも知っています。
 
だけど、ももクロがどんどん進化していくのに、わたしたちが輪を閉じてしまったら、彼女たちに着いていけなくなる日があっという間にやってきます。
 
2014年のももクリで、百田さんが言いました。
 

「わたしたちの手が届かないところは、みんなが笑顔にするんだよ」

 
OK、やってやりましょう。
ちっぽけな自分でも、隣に座った人とくらいなら、一緒に笑い合えるでしょ。
 
このオフ会は、そんなオフ会です。
 
 

【お申し込みの流れ】

 
参加希望申し込みフォーム送信
こちらからの返信内容を確認
LINEグループに参加し詳細確認
以降LINEグループでやりとり
LINEを使っていない方はメール連絡となります)
 
 

【参加希望申し込みフォーム】

 

【ももクロ】2015/8/5 ももいろフォーク村DXについて怒りの長文

ももいろフォーク村デラックス、行ってきました。
ガールズファクトリー2015は三日間通して行ってきたのですが、今回はフォーク村デラックスについて、想いをしたためたいと思います。

結論から言うと、フォーク村の終演後、わたしはひどく腹を立てていました。
ももクロのライブ史上で一番、腹を立てました。
一言でこの憤りを表現すると、

「れにの涙を安く使うな」

という言葉に集約されます。
終演直後は声が震えるくらい怒りが込み上げていました。
そもそものGFの構成が、アーティストの使い捨て感が顕著でしたが、あのめちゃくちゃなものを、れにちゃんの涙で無理やり収集付ける材料に使ったことに、嫌悪感しかありません。

一応、念を押をしておきますが、わたしは泣いたれにちゃんに怒っているわけでも、れにちゃんと一緒に泣いているひとを嫌悪しているわけでも無いです。
断言できますがそれは違います。

わたしが腹を立てているのは、あの舞台を作った人間たちに対してです。

なんなんでしょうね、あの劣悪なイベントは。
プロデューサーをはじめ、あの現場を作った人間は、クリエイターでもプロでもなんでもない。
お金やらなにやらの数字に囚われたテレビ局に所属するサラリーマンが、その正体なんでしょうね。

あんなに作り手の愛が感じられないイベントは、たぶん初めてです。

これも念を押しておきたいのですが、アーティストさんたちはみんな精一杯のパフォーマンスをしていたと思います。
あの劣悪な環境でやってのける彼女たちは、逸材だとひたすら感心しています(特に夏菜子と真山)。

でも、彼女たちは、たしかに逸材なんですが、素材でしかないんです。

イベントやライブという料理を美味しく仕上げるためには、すぐれた素材を調理する料理人が、プロデュースをする人間が、絶対に必要なんです。
人様からお金をいただくとなったらなおさら。

でも、あのイベントにプロの料理人はいませんでしたね。
片手間で自己満足の料理をしているサラリーマンしか居ませんでした。
しかも素材の持ち味を台無しにするやり方で。

ほんと、一日経ってますが思い出すだけで憤りで胸がむかむかします。

正直、フォーク村のコンセプトそのものが、最初からそういう感じではありましたし、最近は特に酷かったですけども。

わたし、フォーク村が始まったときは、なんておもしろい番組を始めてくれたんだろうと大興奮だったんですよ。
ももクロちゃんたちが純粋に音楽に触れる音楽番組、しかもフォークソングだなんて、なんてものをやってくれるんだ、と。

日本のフォークソングは、日本人の郷愁や侘び寂びを表現するものだから、なんでもかんでもフルスロットル、のスタイルが通じなくなってきたももクロちゃんたちにとって、一歩引く、という表現方法を身に着ける絶好の機会なんじゃないかと。
感情を抑える、という表現手法を、習うより慣れろで会得していく素晴らしい機会なんじゃないかと。
そう思って、本当に楽しみな番組でした。

でもそれも最初の二回だけで、なんだこれただの身内の懐メロカラオケ大会じゃん、と思うようになってからは、一線引いた楽しみ方しかしなくなったし、そのうちだんだん番組そのものを見なくなりました。

まあそれでも、たまに見る懐メロカラオケ大会は、その感覚で見れば、それなりに面白かったし、そもそもわたしは、そんな風に一線引きながらも、ももいろフォーク村が好きだったんですよ。
自分の好きな懐メロを、自分の好きなももクロちゃんが歌ってくれるのは、単純に見ていて楽しかった。

でも代々木体育館で万単位の人間を集めてやる内容ではない。
しかも決して安くないお金を取ってまで。

代々木のフォーク村については、最初に入場して舞台のセットを見た瞬間、なめてんのか、と思いました。
チープすぎて。
だから、ステージセットからして嫌な予感はしていましたが、案の定、本編は何の筋もない、ぐだついた、ひどいものでした。

よくもここまでアーティストたちのパフォーマンスを台無しにできるな、という構成で、あの舞台を作った人間の感覚が、まったく理解できないです。

それでも鳥肌の立つ瞬間はあって。
I'm proudの時の夏菜子の、ここは自分がやるしかない、と覚悟を決めきった歌声には、文字通り身震いしました。
あの子がたった一人で、あの劣悪な環境の空気を一気に変えた。
演奏者も引っ張られて音がよみがえった。
時々ふいに起こる、音楽の奇跡を、夏菜子が自分の意志で起こしたんです。

I'm proudの直後のあーりんも持ち直したんだけど、その後の失格の再びの夏菜子が凄まじかった。

ただ、フォーク村もももクロちゃんの持ち場に関しては、あとは覚えているのは杏果のThe Roseだけです。
他はエビ中の三人以外、記憶に残っていません。

気が付いたら終演で、あと覚えていると言ったら、ももいろパンチの時の武部さんのやけくそなピアノと、Best Friendで泣いているれにちゃんの姿と、どうしようもなくもやもやした気持ちだけです。

お涙頂戴の演出が絶対に悪というわけではないんです。
やり方の問題なんです。
涙も演出としてあっていいんです。
でも、ステージというものを作る以上、そこに賭ける情熱と愛が無い演出は、必ず観客に見抜かれてしまうんです。

少し話がそれますが、実はわたしも、かつては舞台を作り上げる側の人間でした。
脚本も書けば演出もし、監督もする立場の人間でした。
そしてピアノもギターも弾く人間でした。
プロにはなれませんでしたが、今でも、表現をし、ものを作り上げる行為を愛しています。

そんな人間だからこそ、役を演じる人間、歌を歌う人間へのリスペクトは半端ないです。

台本やメガホンや楽器といった武器を何ひとつ持たず、丸裸の自分ひとりで勝負をする人間への憧れと尊敬は強烈です。
そういう意味で、ももクロちゃんという素材のすばらしさは、素材を料理する視点で見てもよくわかるし、彼女たちに感じる愛情は根が深いのです。

だからなんですよね。
自分の惚れた素材をめちゃくちゃに料理されて強烈に怒りを覚えるのは。

ライブステージという一夜を、ひとつの作品として愛せない類の人間が、自分の愛しているものを台無しにしたことが本当に腹立たしい。

あとは素直にももクロちゃんのファンとして思ったのは。

あんな安易に泣かせたことに対して、桃神祭でのれにちゃんの笑顔の努力は何だったの?

と、いう憤りです。

いや、笑顔の努力という言葉は正しくないかもしれない。
桃神祭でのれにちゃんの笑顔は、彼女の愛情と誠実さの表れだから。
あの笑顔の土台に何があったのかを考えれば考えるほど、れにちゃんの強さと気高さと、愛情の深さを感じずにはいられなかった。

そして、そのれにちゃんを見守るあーりんの気持ちは?
あーりんは、怪我する側の気持ちを二回味わっているぶん、れにちゃんを目の前にして、とんでもなく複雑なものを抱えて挑んだ桃神祭というライブだったと思います。
ある意味、前だけを向くことが許されるれにちゃんより、あーりんのほうが、後ろも前も横も見なくちゃいけなくて、そんなこんがらがった複雑なものに、誰よりも人知れず苦しんでいたかもしれない。
そしてその苦しみを、表に出すのが苦手な子だと思うから。

この二人のことを思うだけでも、フォーク村でれにちゃんの涙を安く使った側(れにちゃんの涙が安いという意味とは違います。むしろ真逆です)に対して、くどいほどの繰り返しになりますが、憤りを覚えます。



と、ここまで書いて時間切れなんで、シメまで行けてないですが、一旦ここで。
あとから追記できたらいいなとは思いますが、時間的に無理だったらこの憤りだけを記録として残すことになりますが、まあその場合は、これもひとつの思い出ということで。

【ももクロ】春の一大事2014 国立競技場大会

 
 
 
いやー。
過ぎましたね、『通過点』。
 
これを書いているのはもう19日で、国立2day’sからは三日が経過しているわけなんですが、いまだに、ももクロちゃんが見せてくれた夢の余韻から抜け出せないままです。
 
もう、言葉にすればするほど野暮な気がして、言葉なんていらんかな、と思ってはいるのですが、余韻が消えてしまう前に、何かしらの形を残しておきたい気持ちもあり、やはりブログを書くことにしました。
 
レポートではなく、わたしが感じたことを、そのまんま、書き留めておきます。
 
 
 
まず一日目を終えて、二日目を目前にした朝、わたし、その時の感情をTwitterで呟いたんですよ。
 
そしたら、それを読んだらしい仲間が、二日目が終わった後に口を揃えて、
「ミエさんこれからどうするの!?」
と言ったのですよw
 
その辺も含めて感想を書きたいので、まずは、一日目と二日目の間に呟いたことを、原文そのままで引用しますね。
 
 
 
----------ここからTwitterの引用----------
 
 
国立一日目を終えて。
なにが最高のライブだとか、なにが最高のパフォーマンスだとか、もう、わからなくなってしまった。
ただ、胸がいっぱい。
ももクロちゃんたちを見てると、胸がいっぱいになる。
 
ここが好き、こうだから好き、推しに関しても好きな理由なんていくらでもあるよ。
でも、なんかもう今まで言葉にしてきたももクロちゃんたちを好きな理由は、過去映像のように全部、過去という積み重ねになってて、あの子たちの姿にひたすら元気をもらえるし、叱咤激励されてる事実を、シンプルに感じた。
 
二日目を前にして、本当に正直なことを言うと、ももクロちゃんのライブは国立を最後に一区切りつけようかな、って昨日まで思ってたし、もしかしたら今日見て、また思うかもしれない。
悪い意味じゃなくて。
他にもそういう人はいるだろうし、応援の仕方が、在宅という形に変わるだけで。
 
でもさ、夏菜子が「ここはパワースポット」って言ってみんな笑ってたじゃん。
わたしも全くおんなじこと思っててさ。
好きだから生で見たいっていうんじゃないんだよね。現場のあの熱量を浴びると、スコールにうたれた後みたいに、もうなんかびっしょびしょのぐっちゃぐちゃで、すっきりする。
 
わたしね、今年は現場はだんだん控えて行こうと思ってて、周りにもそう言ってるんですよ。
それは自分の環境的な問題なのだけど、ただ、今回の国立というのはやはりとてもわかりやすい節目で、今日、二日目を最後に、何かしらの答えを出そうと思ってた。
 
「それでも答えは出せないよ」って夏菜子の声がずっと頭の中で響いてる。
 
昨日の一日目、たくさん泣いたけどさ。
泣いた理由なんて、もうわかんないよ。
後付けだよ。
整理しきれないよ。
もちろん5人が見たくて来たけど、アリーナ席に入場していちばん最初に泣いたのは、国立にぎゅうぎゅうに詰め込まれたカラフルな景色に泣いたんだよ。
 
ぎゅうぎゅうに詰め込まれたカラフルな景色の中心の聖火台の前に、ももクロちゃんたち5人が、ももパンの衣装で現れた時に泣いたのは、「わたしたちはここまで来たよ」って、とてもシンプルに彼女たちが表現してきたからなのかな。
 
確かに、ももクロのシンデレラストーリーは紅白で完成されてて、その延長戦で国立があって、今日の二日目、国立で本当にシンデレラストーリーは終わるのかもしれない。
それが怖くて、本当に素直な気持ちを言うと、昨日・今日が来るのが怖かった。
 
もっと言うなら、シンデレラストーリーを追ってきた人たちが、その完結編に満足してしまうのかもしれない。
それから、ものすごいスピードで成長して遠くに遠くに行ってしまうももクロちゃんの姿に、着いていけなくなってしまう地点が、国立なのかもしれない。
そう思って怖かった。
わたしもそうだから。
 
日産スタジアム2days14万人て聞いた時、正直、それって今のももクロちゃんたちにとって、そんな大きな壁か?って思って。
でも、もはやシンデレラになってしまい、ストーリー性を切り離して闘わなきゃいけない今の彼女たちにとっては、今までと全く違う壁なのかもしれないと思った。
 
今日、二日目が正念場だと思う。あらゆる意味で。
 
うまく言えないな…もどかしい。
 
一日目、凄く良かったし、大好きだし、胸いっぱいだけど、それとは全く別の冷静な部分で、今日、「ももクロはもう本当に完成されたんだな」と思われてしまうことが、怖い。
二年前の春の一大事二日目を思い出すと、怖い。
 
ゲストに頼らず、MCも削れるだけ削り、長丁場をやめて濃縮還元した味付けのライブで、過去からの奇跡と軌跡を聖火台に届けたのが昨日なら、今日はどうするんだろう。
どうなるんだろう。
 
「私たちには過去も先のこともない。もしかしたら、考えさせる暇をあえてもらえなかったのかもしれない。ももクロには今しかない」
繰り返し言ってた夏菜子の言葉が、ずっとリフレインしてる。
 
こんなに期待より不安が大きいライブ直前の感覚って、今までに無いな。
 
パフォーマンスは安定してるだろうさ。
演出も押さえるところを押さえてくるだろうさ。楽しいライブになるだろうよ。
でも、一日目を終えての最初の言葉が、「明日どうするんだろう」だったんだよ。
 
この「二日目どうするんだろう」っていう不安て、「これからどうなるんだろう」っていう不安そのものなんですよ。
 
あーーーーーーーーーー
 
叫びたい  ただ叫びたい
 
紅白からの国立、と、わたしたちって今までとてもわかりやすいストーリーを与えられてきたじゃないですか。
そのストーリーが終わってしまうんじゃないかっていう、恐怖感なんですよね、単純に言うと。
 
あかん、昨日の一日目の「ストーリーを振り返る」というコンセプトに感傷的になってるな。
ちっちゃな人間であるわたしの不安を、笑いながら吹っ飛ばしてきてくれたももクロちゃんたちの力を信じて、今日も楽しむ!
 
 
----------ここまでTwitterの引用----------
 
 
 
「答え出た?」
 
二日間の国立を終えて、ストレートに聞かれました。
ちょうど一年前の三月、五次元ツアーの初日に大阪で出会って、この一年ずっと一緒にももクロちゃんを見守ってきた仲間からの言葉でした。
 
「だって夏菜子が見守ってて欲しいって言うんだもん」
 
と、何を考えるでもなく、自然に答えてました。
 
 
 
わたしは結構、破天荒な生活をしてますけど、これでも二児の母なのでね。
 
ももクロちゃんたちのことは人間として尊敬しつつ、見守る心境には親的な目線が強いんですが。
 
親業をやってらっしゃる方にしかわからないことかもしれませんが、子供の成長過程って、生まれて鳴き声を上げて、ぐらんぐらんしてた首が座って、寝返りをうてるようになって、腰が座ってお座りができるようになって、つかまり立ちができるようになって、一人で立てるようになって、そこから一歩ずつ、歩けるようになるんですよね。
 
これらのことが生まれてから一年間で…思えば、たったの一年間で、できるようになるんですよ。
 
そして、よちよち歩きから、だんだん歩みがしっかりしていって、走り回れるようになって、ジャンプもできるようになる。
 
そういう成長の手助けをしながら、だんだん子供の『手が離れて』いって、ある瞬間で、
「あ、もう手を離して大丈夫なんだ」
と思う瞬間が、親には訪れるものなんですよ。
 
子供が自由に走り回れるようになった姿を見て、それがどのタイミングかは、はっきりとは言えないんですが、ほんとに、ふと、あ、もう大丈夫なんだ、って。
自分の役目は、一区切りだなって。
そう思う瞬間が、あるんです。
 
国立一日目が終わった時、ももクロちゃんたちに対して、
「もう彼女たちは、手を離しても一人で走り回れる時期なんだな。親にすがりつくことも、しなくてすむんだな」
と、思ったんですよ。
だったら、あとは見守るだけだ、と。
 
それは実は、去年の春の一大事、春西武の時にも感じていて。
でもあの時はね、生バンド、という、今までにない試みを始めた瞬間だったので、
「あっ、これはまだ目が離せん!」
ってなったんですよ。
もともとわたしはロック畑の人間だったので、ダウンタウンももクロバンドによく参加している、西川進の大ファンだったのも大きくて。
 
と同時に、
ももクロはまだまだ遠くへ行ける!」
と。
 
Twitterから引用した文章で、『二年前の春の一大事二日目を思い出すと、怖い』と書いた意味は、ももクロはもっと遠くへ行ける、と一番可能性を感じたのが、二年前のその日だったからです。
 
 
 
で、今回の春の一大事。
国立を最後に現場は卒業かな、と、去年よりも強く、明確に思っていて。
 
見守るだけなら、現場に行かなくても大丈夫じゃないですか。
現場は、どんどん入ってくる新しいファンに任せていけばいいかなって。
そうやってファンも新陳代謝することによって、芸能って長生きしていくものだから。
 
それと、
「まだまだ行ける!」
という感覚が、国立というゴールを最後に終わってしまうのかな、と。
 
国立は通過点、という言葉を信じたいと思いつつも、もうぶっちゃけて言ってしまえば、これがピークじゃないかと。
 
だけど、二日目、一日目と全く同じセトリの13曲をやった後の、ネオスタからの流れと、最後の言葉。
 
ももクロちゃんたちは、自分たちと一緒に歩いて欲しいって。
あのあーりんが、言葉に詰まりながら、一緒に居て欲しいって。
 
そう言ってた。
 
わたしは『悪い大人』だから、一生をももクロに賭けると言った彼女たちの気持ちに応えたくても、一生追いかけるなんて、口が裂けても言えない。
どこかのタイミングで、たぶん自分がももクロという居場所を卒業するのも、わかってる。
 
でもそれは今じゃない。
 
それが答えでした。
 
 
 
これからも、彼女たちの手を離さず、現場で、できうる限り声の届くところで、ももいろクローバーZという笑顔の種に、幸せをもらいに行きたいです。
 

 

拙い文ですが、ももクロちゃんに敬意と感謝と愛情を込めて。
 
 
 

【ももクロ】JAPAN TOUR 2013「GOUNN」宮城公演・千秋楽

 
 
 
ももクロちゃん秋ツアー「GOUNN」、11/22宮城公演・千秋楽のライブビューイング行ってきました!
 
福岡、徳島公演にも行っているのですが、その時の記事はこちら。
 
二公演の内容というよりは、GOUNNのツアーのコンセプトだとかテーマみたいなものを中心に語ってます。
ツアーの終わった今だからこそ、良かったら、読んでやってください。
 
 
なので、今回は、「千秋楽最高だった! ももクロちゃんたち大好きだ!」という内容で、五人にスポットを当てて書きますね♪
 
 
 
まず、宮城公演のMVPは、皆さんも言ってますが、何と言ってもしおりん!!
しおりんの天使ぶりやばかったです。
ほんっとやばかったです。
基本あーりんしか見てない私でも魂抜かれるレベルの可愛さでした。
 
しおりんて、ライブの時はいつもすごく気張ってるところがあると思うんですよね。
「いいかおまえらー!」と、今までは煽りを任されていたり、やれと言われたことは器用にこなしてしまう。
 
でも実はももクロちゃんたちの中で、いちばん女の子らしくって。
だから男性ファンがダントツで多いんだと思うし、泣かなくなった今でも、「みんなの妹」なんだと。
 
で、今回は、その「気張り」が抜けて、凄く自然体だった。
思うに、ももクロちゃんたち全体がパワーアップしてるから、しおりんが抱えてた「自分がフォローしなくちゃ」という、ある種の使命感みたいなものの縛りから、解き放たれつつあるのではないかと。
 
笑うために笑ってるんじゃなくて、ふとこぼれる笑顔が、最高に可愛かったです。
特にバラード三連チャンのときの表情。
これ私が男性だったら、しおりんの恋の落とし穴に落ちてるわ!と何度思ったことかw
 
ちなみに、一緒に行ったしおりん推しのツレいわく、
「今日はしおりんのおでこは確かに輝いていたよ! でもね、デコ出しというより、眉出しがね、しおりんの真骨頂だと思うんですよ」
だそうですw
 
 
 
次、夏菜子!
 
もー、この人はどこまでパワーアップするんでしょうか!?
相変わらずの主人公・ヒーローぶり。
ほんとあの子の恋の落とし穴こわい。
 
夏菜子の恋の落とし穴って、実はえくぼ=笑顔じゃなくて、目ヂカラなんじゃないかなーと思ってます。
特に今回はLV参戦だったのもあって、表情に集中していられたせいもあり。
 
夏菜子が映るたび、かっこいい表情でも、太陽みたいな笑顔でも、一瞬で夏菜子の世界に引き込まれる。
男前なヒーロー感と、女性らしい最高の笑顔。
 
それから最近の夏菜子の特筆すべきは、声の色気な!!
GOUNNでは真骨頂とばかりに、夏菜子の声が艶やか。
ほんっと歌うまくなったな~と思いますが、それって本来持ってたものが成長したというよりは、夏菜子の場合、突然変異的な表現力を感じるんですよね。
スーパーサイヤ人覚醒!的なw
 
感嘆のため息が漏れるようなひとです。
 
 
 
続いて、れにちゃん!
 
今回はれにちゃんの声の伸び、素晴らしかった!!
れにちゃんて音程が不安定なところあるけれど、音も取れてたし、細い綺麗な声に安定感がプラスされて、とても素敵な歌声でした。
 
れにちゃんも、しおりんと同じく歌の合間に自然とこぼれる笑顔の数が多くて、もう。
笑うところで笑うんじゃなくて、ふと、こぼれるんですよ!
それがもう、綺麗で綺麗で!
 
あと、頼りなさが無くなりましたよね。
むしろ、最近の高さんは頼もしい!!
パフォーマンスも安定していて、MCもほぼほぼ、話の真ん中に居るし。
 
でも、いやみのかけらも無くて。
本来のマイペースさに磨きがかかってますよね。
 
 
 
お次は杏果!
 
前半のりきれてない感じでした。
が、後半の巻き返しがヤバくて、猛烈では鳥肌たちました。
 
前半は、なんだか歌声がちょっと苦しそうで、喉が心配というよりは、表現に苦戦している感じで。
杏果も、その時の自分のコンディションに合わせて、どうしたら安定するのか、いろいろ試している最中なのかもなーとも思ったり。
 
杏果の調子が一番わかりやすいのって、銀紙飛行船だと思ってて、今回は、銀紙までが苦しそうで、猛烈から何かを取り戻した感ありましたね。
 
あと最近の杏果はMCがとにかく見物w
いつまでたってもいじられ役で、ほんと可愛いw
 
甘露の匂い~♪
 
 
 
で。
肝心のあーりんのお話。
 
まず一目見て、今回のあーりんのプニり具合は、プニってるというより、いかにもむくんでる感じだったので、一目見て「あ、調子悪そう」と思いまして。
初っ端のサラバとアメタヂまでは、そこまで感じなかったんですが、ワーズのラップ部分で「あ、やっぱり今日あーりん苦しそう」って確信しまして。
 
今まで見てきたあーりんの中で、いちばん、苦しそうでした。
バラードなんか、ほんともう…あーりんの辛さが伝わってくるようで、こんなにハラハラしながらあーりんを見たのは初めてです。
ラフスタイルで転んじゃったしw
 
でも、声が思うように出なくても、調子悪いところを凄く頑張ってたよね?
その調子の悪さを根性でカバーしようともがいてる感じが、もう見ててほんとなんていうか…あーりんすごいな、強いな、がんばれ、でも無理しないで、めげないでね、ってずっと応援してましたよ…。
 
あーりん推しとしては、歌声からあーりんの悔しさが伝わってきて、つらい気持ちもあるんですが、それ以上にあーりんの強さを見られたのが凄く良かったです!
 
あーりんって芯が強いから、杏果みたいなわかりやすい、可愛らしいいじらしさじゃなくて、奥に隠れてるんですよね…。
なんかもう健気ささえ隠す健気さを思い出すと、泣きそうです…あーりんしかー!
あーりんの今回の調子の悪さに対する努力とプロ根性を見て改めて、一生あーりん推すわ、って思いました。
 
 
 
一生あーりん。一生あーりん推す。
なんだけど…。
 
今回のツアーで、箱推しさんの気持ち、凄くわかりました…。
みんな可愛いすぎた…。
今回は特に、ほんと誰も選べない…。
 
GOUNN宮城・千秋楽は、
 
可愛さ賞・しおりん
ハンサム賞・夏菜
自然体賞・れにちゃん
力強さ賞・杏果
努力賞・あーりん
 
でした。
 
 
 
あーりんの努力賞は、ほんものの努力賞。
成長に結びつく努力賞。
しつこいけど努力賞。
 
 
 
いやーしかし今回のツアーは中毒性ヤバかったです。
サントラ挟んで作ったプレイリストを何回聴いたかわかりませんが、セトリのストーリー性が聴き込むほどヤバい。

全体を通して、今回のツアーは、れにちゃん、凄くお姉さんらしかったな~。
今までは「年長者ほど頼りなくて手がかかって、年少者ほどしっかりしてて放っておいても平気」なんて言われてましたけど。
 
MCでも、れにちゃんが中心になって杏果やあーりんをいじったのって、ごく自然な、無意識のフォローなのかなって。
 
特に、宮城公演は、なんというか、五人が五人とも年相応って感じで凄く良かった。
れにちゃんが長女で、末っ子あーりんがドジやっちゃって、みたいな。
(ラフスタで転んだことをいじられた時のあーりんめちゃくちゃ可愛くて、このネタで一時間半くらい語れる自信あるので、誰か相手してくださいw)
 
しおりんものびのびしてたし、杏果も凄く杏果らしかった。
夏菜子はリーダー。
ひたすらリーダー。主人公。
 
そしてタブルアンコール、ほんと良かった。
昂ぶった気持ちで自然に派生するあれ。
時間の関係であーりんが出て来れなくて、「五人じゃないと歌えないし」と自然に言ってた夏菜子の言葉に泣きそうになりました。
 
ていうか泣いたw
福岡・徳島・宮城LVと観てみて、私の中でGOUNNツアーは別名、涙腺崩壊ツアーですわw
 
 
 
他にも、いつか君がの初披露とか、謎ユニットとか、書きたいことたくさんありますが、今回は五人に的を絞った記事ということで!
ではでは、乱筆ですが。
 

ももクロちゃん最高!!!!!!!